ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 組織でさがす > 教育部 > 生涯学習課 > 太田松茸道中

本文

太田松茸道中

11 住み続けられるまちづくりを
ページID:0003322 更新日:2023年9月20日更新 印刷ページ表示

令和5年度太田松茸道中について

令和5年度太田松茸道中は、中止となりました。楽しみにされていた方につきましては大変申し訳ありませんが、ご理解いただきますよう、よろしくお願いいたします。

 

太田松茸道中とは

大光院にて  太田は江戸時代の初期から徳川氏と深いつながりをもっていましたが、その関係を強めていたものの1つに、金山産の献上松茸がありました。
 松茸の献上は、寛永6年(1629)に始められたと言われています。当時太田は、館林城主、榊原氏の領地で、金山からは上質な松茸がたくさん採れたそうです。榊原氏はこれを三代将軍徳川家光に献上したのです。
 松茸は9月頃から11月にかけて金山の山中に生えました。この時期は多数の番人が見張り小屋で警備にあたり、松茸が生えてくるたびに1本1本記録するという細かいものでした。
 いよいよ献上の日になると、松茸は竹かごに詰められて妻沼へ、さらに大宮、浦和を経て、江戸城まで送られました。輸送時間は約20時間と伝えられています。この驚異的な速さは、松茸の鮮度を落とさないためでした。
 献上の本数は少ない年で382本、多い年で2892本というように、年によって大きく開きがありました。
 ともあれ、松茸の献上はおよそ240年という長い期間続けられました。幕府崩壊後は一時行われなくなりましたが、その後皇室への献上という形で再開され、昭和39年(1964)まで続きました。
 現在では金山の松が古くなるなど、環境が変わってしまったことから松茸は採れなくなってしまいましたが、金山の献上松茸は太田の近代史を飾る上で、極めて大きな役割を果たしたのです。
 太田松茸道中は、この献上松茸を大名行列風にアレンジし、行程も江戸城ではなく熊谷市妻沼までに短縮し、再現したものです。

第30回太田松茸道中の様子(令和元年度)

 江戸時代に行われていた献上松茸を現代に再現!昔の衣装で隊列を組んで街中を行進してみませんか。参加者には昼食に松茸ご飯と松茸のお吸い物が振る舞われます。また、大光院と妻沼聖天山では観覧者にも松茸のお吸い物を無料で配付します。
日時:令和元年10月6日(日曜日)午前8時30分~午後5時(雨天中止)
集合:九合行政センター(太田市飯塚町591-1)
対象:中学生以上の人(扮装をして5km程度を歩ける体力を有するもの)
定員:先着100人

松茸
献上する松茸です。

出発式
大光院開山堂の前で出発式を行います。

いよいよ出発
吉祥門から歩き出します。

昼食休憩
太田市役所で昼食休憩します。

県道沿い
県道に沿って歩きます。

聖天山
妻沼聖天山に到着しました。

松茸献上
今年も無事に、聖天山へ松茸を献上することができました。

妻沼聖天山にて記念撮影
最後は全員で記念撮影。おつかれさまでした。