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『太田かるた』絵札・読み札一覧あ行

あ行
絵 札
読み札
解  説
正式には祥寿山曹源寺観音堂といいます。文治三年(一一八七)新田義重が京都から迎えた養姫祥寿姫の菩提を弔うために開基したと伝えられ、一時荒廃したが金山城主横瀬(後の由良)氏により再興されました。現在の観音堂は寛政五年(一七九三)に龍舞の棟梁町田兵部栄清により建立されたものです。外観は二層に見えるが、内部は三層で、仏教の右繞三匝(右回り三回)の礼法を建築構造上に表現した貴重な建物です。日本三さざえ堂の一つで、規模は最大です。昭和五十二年九月に県の重要文化財に指定されました。
生品神社は上野国「神名帳」に従三位生階明神とあり、豊城入彦命が新田地方を開墾にするにあたり鎮護のため、大己貴命を祀ったといわれます。元弘三年(一三三三)、新田義貞が後醍醐天皇の綸旨を受け、鎌倉幕府倒幕の兵を挙げたと伝えられます。境内には「旗挙塚」「床机塚」「くぬぎの古木」が保存されています。また、社伝では平将門の弟御厨三郎将頼を祀るといわれています。境内は平成十二年十一月に国の指定史跡となりました。なお、挙兵の故事にならい毎年五月八日に鏑矢祭が行われています。
市民のスポーツの拠点として昭和四十九年三月に陸上競技場が完成、その後、サッカーラグビー場・サブグラウンド・野球場・市民体育館が建設され、昭和五十八年には公園施設も完成し、現在に至っています。一年を通じて多くの市民に親しまれ、スポーツの普及、発展、競技力の向上にその役割を果たしています。平成八年の全国スポレク祭の開催を機に始まった太田スポレク祭は、上州太田スバルマラソンなど各種スポーツイベントや緑化祭を同時開催しており、市民総参加の行事として定着しています。
金山には、香り、味ともにすぐれ、茸の王様とも言われる松茸が室町時代後期には発生していました。寛永六年(一六二九)頃から、この松茸を将軍に献上するようになりました。毎年秋の彼岸頃から十月にかけて、古戸の渡しから妻沼へ、さらに中山道熊谷宿から江戸城の台所へ運ばれました。輸送は竹籠で、太田を午前九時頃に出発し昼夜を通して運んで、城内に到着したのは翌朝五時頃でした。約二十時間の早継ぎでありました。明治以降は昭和三十九年まで、皇室への松茸献上が行われていました。
藪塚地域は高品質な紅小玉すいかの産地として、全国に知られています。藪塚地域のすいか栽培は大正時代までさかのぼり、小玉すいかは昭和三十七年に栽培が始まり、紅小玉すいかが導入されたのは昭和四十二年からでした。群馬県が高品質野菜として定めたGブランドに認定されのは平成元年です。豊かな自然に育まれた新鮮な香りと甘さは、まさに絶品です。果重は二キロ内外、果肉は鮮やかな紅桃色で、舌ざわりもよく、さわやかな風味を楽しめます。

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