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まんが太田の歴史・由良氏の活躍
「まんが太田の歴史」(発行/太田市) 104ページより
「まんが太田の歴史」(発行/太田市) 110ページより
横瀬氏(後の由良氏)は、武蔵七党小野姓猪俣党系の武士であり、岩松家の重臣として岩松家純のもとで権勢を誇りますが、明応4年(1495)の明応の乱で実質上の金山城主となり、享禄の変で泰繁が下剋上を達成し城主となりました。
泰繁の子成繁の時代は、戦国有力大名である越後の上杉謙信、甲斐の武田信玄、相模の北条氏康などの領国経営の狭間にあって、保身のための行動を余儀なくされています。成繁は永禄9年(1566)まで上杉方として、同9年以降は北条方として行動しています。特に、永禄9年の越相同盟に際しては、上杉氏と北条氏の間にあって仲介の労を執るなど、精力的に行動しますが、天正元年(1573)に武田信玄が、同6年に上杉謙信が没すると、由良氏は北条氏の圧力を全面的に受け、同12年に北条方の軍門に下り、金山城は北条氏の支配下に置かれました。その北条氏が天正18年に豊臣秀吉によって滅ぼされ、金山城も廃城となりました。