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まんが太田の歴史・明治維新の先駆者 高山彦九郎

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ページID:0004249 更新日:2022年12月6日更新 印刷ページ表示

「まんが太田の歴史」(発行/太田市) 150ページより「まんが太田の歴史」(発行/太田市) 150ページ

「まんが太田の歴史」(発行/太田市) 151ページより「まんが太田の歴史」(発行/太田市) 151ページ
 高山彦九郎は、延享4年(1747)5月8日、細谷村に高山彦八正教の二男として生まれました。名は正之、字は仲縄で、彦九郎は通り名です。
 彦九郎は、蒲生君平・林子平とともに寛政の三奇人(傑出した人物)として知られた人物で、先駆的な政治理念をもって行動した人としても知られています。幕藩体制が硬直化し、幕府崩壊への兆しが見え始めたこの時期、彦九郎は尊王思想を鼓吹し、幕末の志士たちに多くの影響を与えており、いわば明治維新の先駆者として位置づけられております。

 また、彦九郎は膨大な旅日記を残していますが、そこからは交友範囲の広さや、情報の伝達・普及の一翼を担った旅の思想家という側面が見て取れます。

 彦九郎は、寛政5年(1793)6月27日、九州久留米(福岡県久留米市)の地で自刃しますが、生家跡及び遺髪塚は昭和6年に国指定史跡となっております。また、平成8年(1996)、史跡隣接地に高山彦九郎記念館が開館しました。

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