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城ノ内遺跡

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ページID:0020407 更新日:2023年2月1日更新 印刷ページ表示

城ノ内遺跡平成21年度発掘調査の空撮

平成21・22年度調査地(太田記念病院予定地)全景(北から)

 

遺跡名称 城ノ内遺跡(じょうのうちいせき)
調査場所 太田市大島町
調査期間 平成3年度、平成12年度、平成21・22年度
調査面積 約3000平方メートル
調査結果

 これまでに4回の発掘調査が行われており、古墳時代から中世にかけての遺構が数多く確認されました。

 特に平成21・22年度の調査では、戦国時代に金山城の出城であった大島城に関連すると考えられる溝や掘立柱建物跡が確認され、城の構造や配置の一部をうかがい知ることができました。

 

立地と周辺の遺跡

立地
 太田市の中央やや西寄り、金山の南側に位置し、現在の太田記念病院から太田女子高校北側に広がる遺跡です。

周辺の遺跡

 当遺跡の北東約500メートルには、古墳時代前期の前方後円墳である八幡山古墳があり、また金山の西斜面に分布する長手口古墳群・貧乏塚古墳群などの群集墳が数多く存在しています。

 また北東約500メートルにある大島館跡をはじめ、鳥山中町集落にある鳥山環濠遺跡群など、中世の城館跡が数多くあります。

 

発見された遺構・遺物

大島城を発見か⁉

 当遺跡では、これまでに4回の発掘調査が行われており、古墳時代から平安時代の竪穴建物跡、中世の掘立柱建物跡・溝跡などが確認されました。

 平成21年度から22年度に太田記念病院の建設に先立ち行われた発掘調査では、竪穴建物跡22軒・掘立柱建物跡17棟・溝27条などが確認されました。このうち中世の溝などは、縄張り図や地籍図などの記録から、戦国時代に当地にあったといわれる大島城に関連するものと考えられます。

 大島城は金山城の出城で、「大島佐渡守」という人物が城主であったと考えられています。文献資料が少なく、これまで実態のわからない部分が多くありましたが、これらの発掘調査により、一部分ではあるものの建物の構造や変遷などを推定する手がかりを得ることができました。

大島城の縄張り図

調査結果を反映した大島城の縄張り図

まとまって出土したかわらけ

 平成21年度から22年度の調査では、土坑(人為的に掘られた穴)から、中世の土器であるかわらけが11点まとまって出土しました。この土坑は形から本来は井戸であったものと推測され、人為的に埋められていました。かわらけは井戸を埋めている途中に入れ込まれたものと思われ、井戸を使い終わり、埋める際に何らかのおまじないをした可能性を示しています。

城ノ内遺跡から出土したかわらけ

12号土坑からまとまって出土したかわらけ