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寛政太田金山御林絵図(旧宮家本)
寛政太田金山御林絵図(旧宮家本)は、寛政4年(1792)に作られた絵図です。金山全域と例幣使道(れいへいしどう)太田宿を範囲とした江戸時代作成の絵図は複数枚確認されており、当時、金山を管理していた御林守(おはやしもり)が職務の必要上から作成したものと考えられています。
他の金山絵図と同じく、金山には、金山城の遺構が記され、本丸・二ノ丸・三ノ丸などの曲輪(くるわ)や日ノ池・月ノ池・通路などが描かれています。寺社などの建物も描かれ、道路・河川・用水・峰・沢の位置・名称も表現されています。
御林守の職務は、幕府の直轄林となった金山の保護管理全般でしたが、献上松茸を取り仕切るという特殊な立場に置かれ、それが最大の任務でもありました。独立丘陵の金山は当時、領主の異なる土地に囲まれていたので、その気になれば山中への出入りができてしまう状況でした。御林守の下に配置された目代(もくだい)や山番は、松茸が生える時期になると盗難や動物被害に対する監視、松茸の採取や荷造りなどの実務に当たっていました。
当絵図の特徴は、「御林守」・「目代」などの御林管理者の記載があること、特に目代や他の管理者と思われる名や屋敷が図中に表現されていることです。また、これ以前に作成された元禄14年(1701)の「元禄太田金山絵図」に比べ、記載された情報量が増加している点、地図としての正確性が増している点も特徴として挙げられます。
金山城跡の遺構
太田宿
道路や河川(名称あり)
目代の名と屋敷
凡例等
指定区分 | 市指定重要文化財[歴史資料] |
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指定年月日 | 令和7年4月11日 |
所在地 | 太田市粕川町520(太田市役所尾島庁舎) |