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まんが太田の歴史・近代企業の先駆者 葉住利蔵
「まんが太田の歴史」(発行/太田市) 176ページより
「まんが太田の歴史」(発行/太田市) 180ページより
太田町の商家の長男として、慶應2年(1866)に生まれた利蔵は、明治18年3月に横浜商業学校を卒業して帰郷し、家業に励みました。明治21年、早くも太田町商工会の設立に奔走し、会頭に推されるなど非凡な才能を発揮し、実業界に頭角を現しました。
明治31年には新田銀行(現群馬銀行)を設立して頭取となり、同43年には利根発電(株)を設立して社長に就任し、電灯を太田に灯しました。この間、同41年には薮塚石材軌道(株)(後の太田軽便鉄道、現東武桐生線)を開き、社長として運輸業の発展にも貢献しております。
一方、政界においては明治31年から県会議員として2期、同45年から衆議院議員として2期6年間つとめ、晩年は新田郡教育会長をつとめ、金山図書館(市指定重要文化財)を設立するなど教育の振興にも尽力しております。
大正15年(1926)9月、急性脳溢血を得て60歳で病没いたしました。