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新田荘遺跡(円福寺境内)
円福寺(えんぷくじ)は、正式名を御室山金剛院円福寺といいます。真言宗の寺で、新田本宗家第4代の新田政義(まさよし)が開基したと伝えられ、政義が京都御室の仁和寺(にんなじ)から招いた阿闍梨静毫(あじゃりじょうごう)が開山(初代住職)といわれます。
『吾妻鏡』によれば、政義は寛元2年(1244)京都大番役として在京中、幕府の許可を得ず突然出家したため幕府の咎(とが)めを受けて所領を没収され、由良郷別所村に蟄居(ちっきょ)することとなりました。円福寺が開かれたのはその頃と考えられます。
境内には、新田氏累代の墓と伝えられる20基余りの凝灰岩製の石層塔・五輪塔群があり、そのうちの1基には元亨4年(1324)に「沙弥道義(しゃみどうぎ)」(新田義貞の祖父である新田基氏の法名といわれる)が72歳で逝去したことが記されています。
また安山岩製の石幢(せきどう)があり、長享3年(1489)の銘文と六地菩薩像・延命地蔵一体が刻まれています。銘文中にある「宗悦上座」は横瀬国繁、「宝泉禅門」は岩松満国の法名とされています。
新田氏累代の墓
石幢(せきどう)
指定区分 | 国指定史跡 |
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指定年月日 | 平成12年11月1日 平成21年7月23日(追加指定) |
所在地 | 太田市別所町594-1他 円福寺 |
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