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新田荘遺跡(生品神社境内)
生品(いくしな)神社は、元弘3年(1333)5月8日、新田義貞が後醍醐天皇の綸旨(りんじ)を受けて、鎌倉幕府を滅ぼすための兵を挙げたところです。「太平記」には「五月八日ノ卯刻ニ、生品明神ノ御前ニテ旗ヲ挙、」(巻第十)と記載されています。神社に参集した軍勢は150騎に過ぎませんでしたが、兵を進めるに従い数を増やしていったということです。
生品神社境内は、昭和9年(1934)に「生品神社境内新田義貞挙兵伝説地」として国史跡に指定されましたが、平成12年(2000)に「新田荘遺跡生品神社境内」として、面積を広げて指定されました。境内には義貞が旗を挙げたと伝えられる「旗挙塚(はたごつか)」や陣を構えたと伝えられる「床几塚(しょうぎつか)」があり、神社拝殿の前には義貞が軍旗を掲げたと伝えられるクヌギの古木(市重文)が保存されています。
義貞が旗挙げの際に鎌倉に向かって矢を放ったという故事にならい毎年5月8日に「鏑矢祭(かぶらやさい)」が行われています。
指定区分 | 国指定史跡[遺跡地] |
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指定年月日 | 平成12年11月1日 |
所在地 | 太田市新田市野井町645 生品神社 |
お問い合わせ先 | 090-7637-2556 |
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