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新田荘遺跡(総持寺境内)
総持寺は、2町四方(一辺200m)の規模を有した、鎌倉時代の総領家クラスの新田館跡に建てられた寺で、別名を「館の坊」といいます。寺の正式名称は威徳山陀羅尼院総持寺(いとくさんだらにいんそうじじ)です。
寺伝によると正平年間(1346~1370)に慶範(栃木県足利市小俣町にある鶏足寺の尊慶の法弟)が、岩松八幡宮の別当寺の真光寺・世良田町の清泉寺・「館の坊」の3ヶ寺を合わせて一寺とし、真光寺と称しました。その後、慶賢が総持寺と改称したといわれています。
この新田館跡は、西の早川を背にして、三方を堀にした館跡で、東と西の一部に堀の跡が残っています。居住者は新田荘の立荘者で、新田一族の祖新田義重居館説、本宗家4代の新田政義の失脚後、一時期新田氏を代表した世良田頼氏(徳川義季の子)居館説、新田義貞居館説などがあります。
境内地の梵鐘は世良田祇園の宵宮に、普門寺の梵鐘と呼応して屋台の曳き下がりの合図に使用されていました。また、8月1日には「義貞様」(新田義貞の木造と伝えられた神像・市重文)を祀る行事があります。
指定区分 | 国指定史跡[遺跡地] |
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指定年月日 | 平成12年11月1日 平成21年7月23日(追加指定) |
所在地 | 太田市世良田町3201-6他 総持寺 |
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