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まんが太田の歴史・平和産業の勃興と街の発展
「まんが太田の歴史」(発行/太田市) 204ページより
「まんが太田の歴史」(発行/太田市) 211ページから
中島飛行機(株)のもと、軍需工業都市として発展した太田は、敗戦により頽廃を余儀なくされましたが、次第に太田の人々も復興に向けて立ち上がりました。
その端緒が旧中島飛行機(株)の人々が始めたリヤカーや自転車の生産で、昭和21年6月にはラビットスクーターを完成させ、その販売も行うようになりました。また、手紡糸工業やメリヤス産業も勃興し、さらにはボタン工業なども発展の兆しをみせてきました。そして、昭和30年代の高度成長期には、富士重工業株式会社を中心とする工業都市へと変貌・発展を遂げました。
この間、昭和23年5月の市制施行、同35年4月の首都圏整備法に基づく市街地開発区域の指定による都市計画の実施等によって、市勢も飛躍的な発展を遂げ、北関東屈指の工業生産高を誇る東毛地区の中核都市として繁栄を続けています。
現在は、この繁栄を基盤として、「品格のある生活文化都市」を都市像とする、21世紀へ向けた新たな街づくりを進めています。