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上野国新田郡家跡
上野国新田郡家跡(こうずけのくににったぐうけあと)は、古代新田郡の郡家(古代の役所)です。この遺跡は、以前から礎石建物跡や炭化米の出土が知られていた天良七堂遺跡内に所在します。
上野国内の郡家の具体的な施設を記した『上野国交替実録帳』(国司によって作成された引継書)によれば、新田郡家は東西南北に「長屋」を配置することが記されており、それに合致する長大な掘立柱建物跡が発掘調査により確認され、新田郡家であることが明らかになりました。
郡家の中心施設である郡庁は、全国的にも例のない一辺約90m四方の大きさ(通常の大きさは50m四方)に及び、四辺には長さ約50mの長大な建物が配置されていました。
郡庁のほぼ中央には、掘立柱建物跡から礎石建物跡へと建替えられていた正殿が確認されています。また、郡庁の西側では正倉も確認されています。
新田郡家跡の時期は、出土遺物により7世紀後半から9世紀後半にかけてのものと考えられます。郡家跡は古代の文献の記載に一致する遺構のほぼ全体が保存され、南側には古代の東山道駅路が通過し、東側には寺井廃寺、西側には瓦葺の基壇建物跡が確認された入谷遺跡といった古代の重要遺跡が存在し、古代官衙遺跡のあり方を考える上で極めて貴重な遺跡です。
↑ 新田郡庁推定復元図
指定区分 | 国指定史跡 |
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指定年月日 | 平成20年7月28日 平成27年10月7日(追加指定、名称変更) |
所在地 | 太田市天良町7-1 他 |
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