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高山彦九郎宅跡附遺髪塚
高山彦九郎は、延享4年(1747)5月8日、新田郡細谷村(細谷町)に農民の子として生まれました。江戸時代末期の尊王倒幕運動の先駆者で、幕末の志士に大きな思想的な影響を与えました。林子平・蒲生君平と共に寛政の三奇人(この場合の奇人とは傑出した人物の意、三奇士とも言う)と言われます。彦九郎は反幕府的な思想を持ち、尊王を高唱し、全国の各界各層の人々と交わり遊説を重ねましたが、幕府の追及を受け、寛政5年(1793)筑後国久留米(福岡県久留米市)で自刃しました。
明治11年(1878)、金山南麓の天神山に高山彦九郎を祭る高山神社が造られました。
生家跡は現在畑となり、井戸・生垣・堀跡等に面影を残しているのみです。遺髪塚は本家である蓮沼家宅地をへだてた西側墓地内にあります。
平成8年、史跡隣接地に高山彦九郎記念館が開館しました。
彦九郎宅跡
遺髪塚
指定区分 | 国指定史跡 |
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指定年月日 | 昭和6年11月26日 |
所在地 | 太田市細谷町1324-2ほか |
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