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旧来迎寺の宝篋印塔

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ページID:0004414 更新日:2022年12月6日更新 印刷ページ表示

旧来迎寺の宝篋印塔 来迎寺は、以前、新田中江田町の本郷にありましたが、明治元年(1868)火災にあい、新田中江田町1206に移転しました。現在、元の寺があった場所(旧寺跡)には、墓地だけが残されています。
 一般的に宝篋印塔は、下から順に返花座・基礎・塔身・笠・相輪の五つの部分でできていますが、旧寺跡にあるこの宝篋印塔は、相輪・塔身は他の石造物の石材を使っていますが、他の部分は残り、基礎の四面には銘文が刻まれています。応安三年(1370)という室町時代初期の北朝の年号を持っているなど、来迎寺の由緒を知る上で重要な資料です。
 銘文には、宝篋印塔を造立した18人の僧の名前が刻まれています。これらの人が宝篋印塔を造立することによって成仏を願ったものであることが分かります。

南面  大才
應安三天
庚戌
結衆等
六月十五日
 敬白
東面 新阿少三郎
右志如件
依此善根
法界抜済
北面 静光道了
妙光性妙
礼道妙阿
四郎三郎
尼公
西面 徳悦道海
教忍静学
道善良圓
弘義小貮
指定区分 市指定重要文化財[建造物(石造物)]
指定年月日 昭和52年3月29日
合併に伴い、平成17年3月28日に改めて新市の文化財として指定されました
所在地 太田市新田中江田町592