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妙英寺の梵鐘
笑嶺山妙英寺は曹洞宗の寺院で、天正2年(1574)、鳥山丹後守繁雄の開基と伝えられています。繁雄は金山城主由良成繁の弟で、鳥山城主でした。
梵鐘は総高95cm、口径55.8cmです。江戸時代初期のものであるため、江戸時代特有の形を持たず、遠く鎌倉時代の作風を有しています。笠形は低く、肩に丸みはなく、駒の爪は小さいです。乳は1区に4段4列、合計64個あります。銘文によると、寛永4年(1627)下野国佐野天明(栃木県佐野市)の鋳物師(いもじ)、大田左兵衛尉宗次、野村平左衛門正次により製作されたものであり、現存する市内最古の梵鐘です。
寄進者は新田郡鳥山の天笠次郎右衛門です。次郎右衛門は金山城主由良国繁の家臣で、天正18年(1590)金山城廃城後土着帰農したと伝えられています。
次郎右衛門は、梵鐘の他にも妙英寺に本堂・庫裡・閻魔堂・門・土地を寄進しています。また、新田堀に石橋をかけるなどの徳行も多く、その名は橋の名や駅名(「治良門橋」)に残っています。
指定区分 | 市指定重要文化財[工芸品] |
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指定年月日 | 昭和51年11月16日 合併に伴い、平成17年3月28日に改めて新市の文化財として指定されました |
所在地 | 太田市鳥山中町789 妙英寺 |
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