ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

本文

巖穴山古墳

4 質の高い教育をみんなに11 住み続けられるまちづくりを
ページID:0004504 更新日:2022年12月6日更新 印刷ページ表示

巖穴山古墳  巖穴山(いわあなやま)古墳は、太田市の北東部、金山丘陵北東麓の平坦部に造られた一辺36.5m(現存30m)の方墳です。墳丘四辺がそれぞれ東西南北に一致しています。発掘調査により幅7mの堀が見つかっていますが、葺石や埴輪などは確認されていません。墳丘の南側には横穴式石室が開口しています。
 横穴式石室は、玄室と羨道との間に前室を持つ両袖型の副室構造で、大きさは、全長約11m(羨道約2.9m、前室約2.7m、玄室約5.3m)、玄室の幅は約2.0m、玄室の高さは1.9mです。製材は、近くに産出するチャートの巨石を使用し、奥壁は1枚岩で構成されています。駒沢大学が行った発掘調査で石室内から、須恵器のほか耳環、刀装具、釘などのほか多数の寛永通宝なども発見されており、江戸時代にはすでに人の出入りが可能な状態にあった様子がうかがえます。
 巌穴山古墳の西方にある菅ノ沢須恵器窯跡群を統括していたこの地域の首長の古墳と考えられています。古墳の造られた時期は、7世紀中頃と考えられており、終末期の古墳としては太田市内で現存する唯一の方墳です。

石室内部
横穴式石室の内部

指定区分 市指定史跡
指定年月日 昭和50年9月22日
合併に伴い、平成17年3月28日に改めて新市の文化財として指定されました
所在地 太田市東今泉町752