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もともとはバスケットボールの選手でやってみたいと思っていたのですが、なかなか選手としての芽が出ず、その先の大学などでプレーをするレベルの選手では正直なかったという所と、ただそれでもバスケットボールに携わる仕事をしたいと思っていました。当時は、プロのバスケットボール選手以外がなかなかコーチになれる時代ではなかったので、高校卒業後アメリカに留学したのも、最初はバスケットボールのアスレチックトレーナーになるためでした。
アスレチックトレーナーのコースに入るためにニューヨークにある短大を卒業し、その後ウエストバージニア大学に編入しました。そこで、プロバスケットボール選手になっていなくてもコーチとして活躍されている方が多くいらっしゃって、コーチというものを職業としてできるのかというところを目の当たりにして、そこからアスレチックトレーナーではなく、コーチを勉強するためにアスレチックコーチ学科をとりながら、スポーツ心理学の勉強をしてコーチを目指すようになりました。
そんな中で、バスケット部に所属して学生マネージャーを2シーズンやらせていただき、素晴らしいコーチ陣に恵まれていろいろなことを教えてもらって、やはりコーチを目指すということは自分自身のやりたいことだと思えるようになったのが、最後の2年間で過ごすことができたので、そこで自分の夢が決まった感じです。
楽しさはやっぱり人、組織の成長に自分が関われることは、楽しみでもありますし、責任を重く感じる部分でもあります。やっぱり一つの目標に向かって自分の大好きなバスケットボールでいろんな選手、スタッフと同じ目標を目指してできるということは、すごく幸せなことだなという喜びは常に感じています。
ただ今は、ヘッドコーチという立場の中で感じることは、自分の決断一つ一つがチームの結果にも左右するということと、選手一人一人スタッフ一人一人の人生にも影響を与えるという責任であったりとか、自分たちがいい仕事ができれば上に上がっていけるし、いい仕事ができなければ、選手、スタッフであったり、自分たちのキャリアを続けていくことが簡単ではなくなってしまうというところであったり、そういうところに直結した決断をしなくてはいけないポジションであるということや、自分が持っている責任の重さであったりが、仕事の大変さだと感じています。
楽しいだけではないということは感じているんですけれどもそれもひっくるめてやっぱり自分たちが好きなことをしてお金を頂いて、生計を立てて生活ができるということは、自分が当時の高校生の頃にはバスケットボールが好きでも選手としては大成できず、でもなんとかバスケットボールに関わる仕事がしたいと思っていたその当時の自分をもう一度思い返してみても、この立場でこういう仕事をさせてもらうということはすごくありがたいことだと思いますし、すごく光栄なことだと思います。だからこそチームとして結果を出したいなと思っています。
そういったチャレンジを昨シーズンから群馬クレインサンダーズで頂けているのでなんとか形にして、このクラブがさらに認知してもらい、今関わっている選手、スタッフがより良いキャリアを積んでいけるようになるために全力でやりたいなとは思っています。ただ、今いる選手の中からプレイタイムをもらえる選手、選手の出る出ないを決める責任をもらっているのはヘッドコーチである僕の立場なのでそういう中でもできる限りの準備と良い決断をしたいと思っています。
独りよがりにならないということは一つ大事かなと思っていて、もちろん指針を示して目標に向かっていくために道筋を立てるのが自分の仕事だと思っているのですが、とはいえコートに立てるのは選手で自分はコートでプレイができないので、いいチームを作って勝ちに向かって戦うための意思疎通を図るために選手が感じていることを吸い上げることというのが必要ですし、そんな中でも我々が目指しているところを選手に伝えてそれを共有すること、それに理解を得て同じ方向に向かうことも必要になってくるので、対話もすごく大事だなと思っています。練習でもこれが本当に必要だという風にみんなが思ってやれる環境を作って、クラブとしてもチームとしても成長していくということがやらなくてはいけないことだと思っています。
いつも応援していただきありがとうございます。僕たちは常に皆さんと一緒にこの群馬クレインサンダーズを背負って戦っていきたいと思っていますので、会場に足を運んで一緒に戦ってくださる方もそうですし、会場に来ることができず、画面上で応援してくれている方も含め、一つでも多くの勝利を自分たちが得て目指しているCSに出場し、その先の頂きを目指すということをぶれずにやっていきたいと思っていますのでこれからも一緒に戦ってください。
本インタビューは、エフエム太郎1月1日放送の内容をまとめたものです。