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新田氏の本拠 新田荘遺跡

4 質の高い教育をみんなに11 住み続けられるまちづくりを
ページID:0031726 更新日:2022年12月6日更新 印刷ページ表示

 国指定史跡
 指定年月日 平成12年11月1日(追加指定 平成21年7月23日)

 「新田荘(にったのしょう)」は、平安時代末期の12世紀中頃に成立した新田氏の荘園です。源義国の子新田義重(よししげ)は、旧新田郡南西部の早川流域・石田川流域を再開発して19郷を支配下におきました。義重は、その後さらに37郷を開発し、旧新田郡のほぼ全域と旧太田市の南西部を荘園化しました。鎌倉討幕で有名な新田義貞は、義重から8代目に当たります。

 この史跡は、「新田荘」に関連する寺社境内・館跡・湧水地など11の遺跡から構成されています。

(円福寺境内、十二所神社境内、総持寺境内、長楽寺境内、東照宮境内、明王院境内、生品神社境内、反町館跡、江田館跡、重殿水源、矢太神水源)

 この史跡の特徴は、広域に存在する複数の中世遺跡を荘園として面的にとらえ、一つの史跡としたところにあります。こうしたケースは全国的にも珍しく、大阪府泉佐野市日根荘(ひねのしょう)遺跡(平成10年12月8日指定)に次いで2例目となります。

新田荘遺跡

新田荘遺跡紹介のページ

「新田荘遺跡パンフレット」をみる[PDFファイル/2.61MB]

新田荘遺跡案内図はこちら[その他のファイル/5.2MB]

新田荘歴史資料館

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