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刀匠 大隅俊平について

4 質の高い教育をみんなに11 住み続けられるまちづくりを
ページID:0031809 更新日:2024年2月27日更新 印刷ページ表示

おおすみとうしょう

大隅俊平(としひら)  1932年〜2009年

その来歴・作風

来歴

大隅俊平(本名:貞夫(ただお))は、昭和7年太田市に生まれ、昭和27年に長野県坂城町の刀匠・宮入昭平(昭和38年に人間国宝に認定、のち行平に改名)に師事し、作刀技術を学びました。独立前の昭和33年、作刀技術発表会において初出品で優秀賞を受賞。「宮入一門に逸材がいる」として注目を集めました。昭和35年に独立して太田市に戻り、苦労の時期も過ごしますが、新作名刀展において6年連続特賞を受賞するなど活躍を続け、後に刀剣界における最高位、正宗賞を3度受賞。昭和63年には太田市名誉市民に推挙され、平成9年には重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。大隅俊平は、宮入一門への弟子入りに始まり逝去するまでの57年に渡って、作刀一筋の道を歩みました。

作風

独立後、極初期までは備前伝風の乱刃(みだれば)の作品を制作していましたが、昭和43年頃から大和伝、山城伝、備中青江を基調とした直刃(すぐは)の作品を作り続け、後年「直刃の大隅」として賞賛されました。「生活は質素に、仕事は贅沢に」を信条に、労力も時間も材料も、持てる全てを惜しむこと無く一口(ふり)の作品に注ぎ続けました。

 

年譜

昭和  7年 1月23日 新田郡沢野村富沢(現・太田市富沢町)に生まれる

昭和27年 長野県坂城町の刀匠・宮入昭平(のち人間国宝)に師事

昭和32年 刀剣類制作承認を取得

昭和33年 作刀技術発表会に初出品(優秀賞を受賞)

昭和35年 現・太田市富沢町に戻り、独立して刀剣制作を始める

昭和40年 第1回新作名刀展出品(以後、平成21年まで連続出品)

昭和42年 新作名刀展特賞受賞(以後、6年連続特賞を受賞)

昭和46年 伊勢神宮へ御神刀太刀(直刀)を三口(ふり)を献納

昭和47年 新作名刀展無鑑査となる(以後、無鑑査にて出品)

昭和49年 第10回新作名刀展にて正宗賞を受賞

昭和51年 第12回新作名刀展にて正宗賞を受賞

昭和52年 群馬県指定重要無形文化財保持者に認定される

昭和53年 第14回新作名刀展にて正宗賞を受賞

昭和54年 太田市由良町(現・大隅俊平美術館)に転居

昭和56年 高松宮殿下へ御守刀(短刀)を献上

昭和58年 高松宮妃殿下へ御守刀(小太刀)を献上

昭和59年 伊勢神宮へ御神宝太刀(直刀)を二口献納

昭和61年 高松宮殿下へ御守刀(太刀)を献上

昭和63年 太田市名誉市民に推挙される

平成 元年 伊勢神宮へ御神宝鉾を二口献納

平成  5年 群馬県功労者表彰を受ける

平成  9年 重要無形文化財保持者(日本刀)に認定される

平成11年 紫綬褒章を受章

平成13年 敬宮愛子内親王御守刀(短刀)を謹作

平成17年 旭日中綬章を拝受、伊勢神宮へ四口謹作

平成18年 オマーン国国王陛下が太刀一口と脇差一口を御買上

      伊勢神宮へ御神宝太刀を二口謹作

平成19年 高円宮家が小太刀を一口御買上

平成21年 伊勢神宮へ御神宝鉾を六口謹作

同年      10月4日 逝去(享年77歳)    

 

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