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旧中島家住宅(中島知久平邸)
本邸宅は、中島知久平(なかじまちくへい)が両親のために、市内押切町の生家(旧宅)近くに建造した敷地面積10,000平方メートルを越える大規模な邸宅です。
築地塀(ついじべい)に囲まれた敷地内には、主屋(おもや)・土蔵(どぞう)・正門(せいもん)・門衛所(もんえいじょ)・氏神社(うじがみしゃ)が配置され、主屋南側には3,000平方メートルにものぼる平坦な前庭が広がります。主屋は、車寄部、客室部、居間部、食堂部など複数棟からなり、和風建築様式に、応接室などの洋風建築を一部加味した意匠(いしょう)で構成される近代和風建築です。また回廊式の構造をとり、中庭を囲んだ「ロ」の字型となっています。素材的にも全て吟味された良材が使用され、国外にまで資材を求めたと言われています。
平成20年度、中島知久平邸の調査研究が行われ、主屋と門衛所から棟札(むなふだ)が確認されました。主屋は昭和5(1930)年4月27日、門衛所は昭和6(1931)年7月23日の上棟で、特に主屋において設計監督が宮内省内匠寮(たくみりょう)出身の伊藤藤一であることが判明しています。
建築の意匠・構造・素材において学術的価値が高く、規模も大きく質の高い遺構であり、本県に残された近代和風建築を代表する建造物として極めて重要なものです。また明治の宮殿建築としての特徴が見られる建物です。
※平成26年6月14日から建物の一部(車寄部)が地域交流センターとして公開されています。他の3棟は現在、非公開です。
※平成28年7月25日の官報告示により、「旧中島家住宅」として国の重要文化財(建造物)に指定されました。
玄関車寄(くるまよせ)
応接間
中島知久平邸平面図
中島知久平邸空撮
指定区分 | 国指定重要文化財 |
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指定年月日 | 平成28年7月25日 |
所在地 | 太田市押切町1417 |
休館日 | 月曜日(月曜休日の場合は翌日) |