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高山彦九郎日記「丁酉春旅補遺2」「丁酉春旅補遺3」
高山彦九郎は上野国新田郡細谷村(現群馬県太田市細谷町)で生まれた、江戸時代中頃の勤王思想家で、幕末の勤王の志士たちに大きな影響を与え、明治維新を導いた人物です。生涯を旅に過ごし、京都・江戸・郷里を拠点に全国各地を遊歴、公家・武士(大名・家老・諸藩士など)・学者(国学者・儒学者・蘭学者など)・文化人(画家・歌人・俳人など)・剣術家・神官・商人・農民など様々な階層の人々と交流、その様子を地域の歴史・地誌・習俗・民情などとともに克明な日記に記録しています。
「丁酉春旅(ひのととりはるたび)」は、安永6年(1777)3月27日から5月4日までの旅の日記です。彦九郎が、出家しようとする大叔父石井相馬政重を追って、上州から江戸を経て身延山へ向かい、帰りは久能山から東海道を通って、江戸を経て、細谷まで帰ってきたことが書かれています。
「丁酉春旅補遺2」は、「丁酉春旅」の断簡で折り本されています。安永6年4月19日と4月24日の日記です。19日は東海道吉原宿(静岡県富士市)から三島宿(同県三島市)までのことが書かれ、24日は武州金沢(横浜市金沢区)称名寺辺りのことが書かれています。
「丁酉春旅補遺3」は、「丁酉春旅」の断簡で軸装されています。安永6年4月23日に書かれた日記と考えられます。彦九郎が鎌倉の光明寺や長勝寺などを参詣したことが書かれています。
高山彦九郎の概要と関連する指定文化財一覧
丁酉春旅補遺2
丁酉春旅補遺3
指定区分 | 市指定重要文化財[古文書] |
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指定年月日 | 令和元年7月10日 |
所在地 | 太田市細谷町1324-7(高山彦九郎記念館) |