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新田荘遺跡(明王院境内)
呑嶺山明王院安養寺(どんれいさんみょうおういんあんようじ)は、真言宗豊山派の寺院で、2町四方(一辺200m)の規模を有した、鎌倉時代の総領家(そうりょうけ)クラスの安養寺館跡に建てられた寺です。
不動堂には、二対の不動明王が納められており、そのひとつは1寸8分(約5.5cm)の白金製で、元弘3年(1333)新田義貞の鎌倉攻めの際、山伏(やまぶし)に化身(けしん)して越後方面の新田一族に一夜にして触れ回ったと伝えられ、「新田触不動(にったふれふどう)」として知られています。
木造二天像(市重文)を安置する山門を入った左手には、境内から出土した新田義貞の弟脇屋義助(わきやよしすけ)の供養塔婆(くようとうば)である「源義助」と刻まれた板碑(いたび)があります。本堂裏手には、安養寺十二坊のひとつである薬師坊に祀られていた南北朝期の石仏である薬師如来像(市重文)があります。
また、本堂東側には延享4年(1747)に建立された千体の不動明王像を刻んだ高さ6mのピラミッド状の千体不動塔(市重文)があります。
安養寺館跡は、土塁(どるい)・掘割(ほりわり)は現状では見られませんが、安政2年(1855)の安養寺村絵図や昭和の地籍図には掘割が確認できます。居住者は、死後に「安養寺殿」と諡(おくりな)された新田義貞が有力です。
指定区分 | 国指定史跡[遺跡地] |
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指定年月日 | 平成12年11月1日 平成21年7月23日(追加指定) |
所在地 | 太田市安養寺町200-1 明王院 |
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