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令和5年8月1日号こんにちは市長です

ページID:0026652 更新日:2023年8月1日更新 印刷ページ表示
 ずいぶん昔の話。日系2世を南米(主にブラジル)からニューカマーとして受け入れる取り組みが始まった。労働力が鎖国状態だったから受け入れもバタバタ状態。日系2世だから日本語ができるんじゃないかと国はもくろんだのだろうが、ほぼできなかった。だけど働き手は欲しい。子どもたちも一緒に来日、さて教育はどうする。働いてお金がたまったら帰ると読んでいたのだろうが、そのまま日本に定住。外国人集住都市会議が全国13都市(当時)で国に問題提起していた。太田市はもちろん発起人として参加した。
 そんな折、東京学芸大学で外国人問題をテーマにしたシンポジウムが開かれた。大学の先生、学生たちが集まった。そこに呼ばれ、1時間ほど話した。学生があれやこれや質問してくる。「いい点を突いてくる。よく勉強している。だが理屈だけでは外国人問題は解決しない。皆さんは机上だけで、単にレポートを作るための議論をしている。現場がない。楽しくないでしょう」と彼らを強めに刺激したら反発してきた学生がいた。大阪大学大学院の根岸親(ちかし)君。「太田に行きますよ、明日にでも。外国人との共生、現場でやってみたいです」。彼は寝袋1枚を持って大阪から来た、断りもなくである。1週間くらいは警備室に泊まっていた。彼の先生、中村教授は「授業に出なくても外国人との共生、太田で勉強するなら卒業させる」という。粋な先生である。太田市役所の採用試験を受けて合格、5~6年いたが「自殺を防ぎたい」と転職した。
 「自殺対策支援センター ライフリンク・副代表」の名刺を持ってひょっこりやってきた。これから大泉町に行くと言う。コロナで自殺者が増えた。悩み相談を受け、一人一人に寄り添っている。「太田市で現場に出たことが役に立っています」とお世辞を言って帰った。久々の出会い、楽しかった。(7月11日記)