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「赤城浅間を軸として・・・無言の教、あゝ彼に」。桐生球場で太高の校歌を聞いた。伝統なのか、太高の応援団は一流である。年に1度か2度、明治神宮野球場に行く。東京六大学野球はリーグ戦であり、母校の応援というか気分一新のために行く。ただし、対戦チームはほぼ確実に弱い場合に限るのである。日本一頭のいい大学(T大)との初戦がいい。強豪チームとの2試合目だと二番手のピッチャーが投げる。負ける場合がある。そのことさえ気をつければ、ほぼ確実に勝利の校歌(塾歌)が歌える。若者たちと腕を上下させて神宮の杜に声を響かせるのは愉快である。あの雰囲気が太高の応援に漂っているのだ。高崎城南球場でも桐生球場でもバックネット裏で観戦していたので立って校歌を歌うのははばかられたが、内心うずうずしていた。校歌は野球場が一番似合うと思う。入学式でも卒業式でもないような気がする。
高校野球の在り方に何度か意見を述べてきた。甲子園に出られる学校は県大会の始まる前にほぼほぼ決まっている。ほぼほぼ決まっている学校に当たればほぼほぼ校歌は歌えない。勝てないのだから歌えない。歌うために高校野球があるわけではないけれど、両翼100mのグラウンドにブラスバンドを従えて校歌を熱唱するのは誠に気分がいいのと違うか。選手も応援団も一体、高校野球の醍醐味はここにある。もしかしたら、桐生、城南、敷島球場で校歌を歌ったことがない学校があるのではないか。くじ運が悪く、甲子園大本命に当たったりすれば「今年も歌えない」と不運を嘆くしかない。
シード校とシード校以外の枠を作ったら校歌を歌える機会が増える。甲子園大本命と1・2回戦で当たることはない。勝てる可能性が大きくなる。校歌が歌える。ところで、全国的に連合チームの参加が増えているけれど、勝ったら、各校の校歌がずらっと球場に流れるのかな?(7月16日 記)