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立て続けに「ええっ」というような出会いがあった。一人はM君である。私は「市長いまどきトーク」という番組で隔週火曜日のお昼、おしゃべりしている。2月の初旬、FM太郎の隣にある観光案内所で自転車を借りている若者がいた。「こんな寒い日に自転車に乗って市内観光ですか、風邪などひかぬように」と内心思った。彼は私を見て「先生!」と声を発した。「ほんと、久しぶりです。Mです。こんな偶然ってないですよね。親父が具合が悪いというので、今着いたんです」とマスクを外した。中学生の頃のM君の面影が現れた。40年も前のこと、東京からUターンして仕事がなかった。「塾なら自分でできる。やるなら一流の塾をつくろう」。その時の教え子だった。今は近畿大学で責任ある仕事をやっている。あの頃、三洋電機が大泉に進出した結果、関西から多くの人が太田に移住した。太田のまちは都会風に変わった。彼のご家族はその一つであった。
前後して、またまたうれしい出会いがあった。「ちょっと1年つまずいて高校に入ったOです」「えっ、あのO君?」。太田記念病院のレントゲン室の前で声をかけられた。立派な青年である。思い出した。彼との出会いは30年も前のこと。同級生の岡本君が北中の校長だった。卒業式に来賓で出席した。髪を染め、バンダナを頭に巻き、学生服のボタンを外したとんでもない男子が入場してきた。桜が終わり若芽が吹くころ校長先生は私のところに彼を連れてきた。「根性は据わっているし根はいい子。頭もいい。何とかしたい」。その後、ちょくちょく顔を見せた。「あのさ、中卒だっていいさ。でも力はあるんだから高校には行こうよ」。夏も終わった頃「公立に行きます」「ほんとか?」。その後高校・大学に進んで一流企業に就職している。
こんな偶然があるか、という出会いである。その1、2分がずれていたらこんなうれしい偶然はなかった。(2月14日記)